理学療法と身体操作の気づきと雑感

理学療法と身体操作について気づいたことや、ふと思ったこと、なんか言いたくなったことなどを書き留めてゆきます。個人的見解が多いので、ご了承ください。

身体操作の探究は『前適応』か?

お久しぶりです。

 

進化について学んでいる中で、ふと、自分が探究している身体操作について、これを探究する意義について思いを馳せたところ、改めて気づきを得ました。

 

身体操作とは、そもそもは、武術や所作における術理を成すための技能ではないかと考えています。

 

これは、ヒトがヒトたる形として誕生したときや、狩猟で生活していた頃には備わっててはいなかったものでしょう。

 

ヒト同士の闘争において効果的に優勢を得るための『武術』

生活や文化活動において、効率的、かつ美しい『所作』

文明の発展とともに、こういったものが求められ、探究され、研かれていったものと考えられます。

 

一方で、文明、社会の発展とともに、ヒトはそれぞれの役割を担い分け、限定的にしていったことから、活動量の低下によって、筋量が減少していったと思われます。

そして現代においては、戦争が終わり、国際文化交流に伴う、生活習慣や生活様式の変化によって、筋量が急激に減少しているのではないでしょうか。

 

さらに、かつては学校や家庭レベルにおいてまで教育されていた武術や所作が、家庭単位の核家族化や、教育の質と環境の変化によって忘れ去られてしまっていますね。

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ここで、進化の話を紹介します。

 

脊椎動物の『骨』は、身体の支え、動きの起点、外界からの保護といった役割を果たしていますが、そもそもはそんなことを目的にできたものではないらしいです。

 

『骨』にそもそも期待されていた役割は、『ミネラル(カルシウムとリン酸)の貯蔵』と考えられており、そのために、当時の動物の身体内部(内臓と筋肉)の隙間にできたのが『骨』だそうです。

 

ところが、いざ骨を作ってみたところ、『速く、しかも器用に動ける』し、『身体を守る鎧としても役立つ』し、やがて陸に上がったときには『身体を重力の中で支えられる』ものだったようです。

面白いですね。

 

このような、最後に出来上がる形の役割と、その形を生み出した時点での機能が明確に異なっている場合、進化学では『前適応』という言葉を使うそうです。


さて、身体操作の話に戻しますと、冒頭で述べた身体操作の意義、『武術や所作における術理を成すための技能』というものも、実は、身体操作探究の『前適応』と言えるのではないかと考えます。

 

つまり、身体操作探究には、結果的には、まったく別の意義、役割を見つけることができると。

 

それは、『効率的な姿勢・運動コントロールと、そのためのボディワーク』であると、私は考えています。

 

筋量の減少した現代人や、運動機能障害を有する人にとって、これはかなり有意義なものと考えます。

 

僕は、オリジナルのボディワークで脊椎、胸郭の柔軟性を出してから、太極拳をベースにやっていますし、日々の身体操作探究から得た術理と技能は、自身の身体操作だけでなく、確実に私の患者に、姿勢・運動コントロールとしても、エクササイズとしても還元されています。


ところで、今度、久しぶりに研修会をやります。
テーマは『関節可動域制限の治療の基礎』ですので、身体操作についてはあまり触れませんが、ROM治療の実技研修会を、尊敬する稲村先生と一緒にやらせてもらえるので、とても張り切っております。
よかったら、参加してくださいね(^^)/

第24回 大阪府理学療法士連盟研修会 | 大阪府理学療法士連盟

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